
能登への派遣で感じた「自治会は必要か」という問い
私は、2024年3月6日から11日まで、能登半島地震の被災地支援のため、七尾市へ派遣されました。
現地では、罹災証明書の発行業務と避難所運営の補助を担当しました。

熊本地震の被災地には、全国の自治体から多くの職員が集まり、避難所運営や罹災証明書の発行業務などを担っている――。
そんな記事を読み、私自身が能登へ派遣されたときの記憶が、昨日のことのように蘇ってきました。
七尾市を担当した自治体職員たち
災害派遣では、全国から多くの自治体職員が集まりますが、みんなが一か所で仕事をしているわけではありません。
私たち京都市職員は、関西広域連合の采配によって「七尾市を担当する」ことになりましたが、京都府内の市町村や名古屋市も七尾市であり、罹災証明書の発行業務では、同じ執務室で作業を行いました。
名古屋市の職員に「京都市から来ました」と話すと、その方が立命館大学の卒業生だったことが分かり、休憩時間には京都の好きなラーメン屋さんの話などで和やかな雰囲気で仕事ができました。
輪島市など、別の地域へ派遣された職員と会ったのは、お風呂に入らせてもらうために利用した船で寝泊まりしたときでした。
被災地では、お風呂に入ることさえ当たり前ではありませんでした。
最初の頃に派遣された自治体職員は、断水のため、お風呂にも入れなかったと聞きました。
1週間ごとに交代する派遣職員
派遣職員は、おおむね1週間ごとに交代します。
私たちが現地に入ったときには、それまで避難所運営に携わった職員たちが経験したことや、注意すべきことが、引継書に残されていました。
どのような問題が起きたのか。
どう対応したのか。
避難されている方には、どのような事情があるのか。
短期間で職員が交代するからこそ、先に入った職員の経験を次の職員へ確実につないでいくことが重要です。
そうして避難所運営のノウハウが積み重ねられていました。
罹災証明書は、発行すれば終わりではない
罹災証明書の発行業務も、完成した証明書を申請者へ送れば終わり、という単純なものではありません。
申請書には、
「この住所には送付しないでください」という付箋が貼られているものがたくさんありました。
自宅が被災し、親戚や知人宅に身を寄せている方。
金沢市など遠方へ避難している方。
あるいは、七尾市の担当職員のところまで直接取りに来られる方。
一人ひとり事情が違います。
完成した罹災証明書を、申請者の住所へ一斉に郵送すればよいものではありませんでした。
被災地では、平常時とは違う細やかな対応が求められます。
トイレの水が流れない
避難所運営の補助も担当しました。
断水しているため、トイレの水は流れません。
凝固剤を使い、自分が用を足した袋を便器から取り出して処分し、次の人のために新しい袋をかけておきます。
地震直後には、庭に穴を掘って用を足していた時期もあったと聞きました。
蛇口をひねれば水が出る。
トイレのレバーを回せば水が流れる。
普段は当たり前だと思っている生活が、災害によって一瞬で失われます。
被災地で過ごして初めて、「水」が私たちの生活のあらゆる部分を支えていることを実感しました。
和倉小学校の体育館
和倉小学校では、体育館が避難者の簡易テントで埋め尽くされていました。
そのため、卒業式は体育館で行うことができず、教室で行われました。
そして次は入学式です。
学校側には、
「入学式は体育館でさせてほしい」
という思いがあります。
しかし、体育館には、まだ避難生活を続けている方々がおられます。
七尾市の担当職員は、学校関係者と避難所利用者との板挟みになっていました。
しかも、その調整を担当していたのは、普段は福祉関係の仕事をしている職員でした。
災害が起これば、行政職員も普段とはまったく違う仕事を担わなければなりません。
「地域のまとめ役」の大切さ
避難所で過ごしながら、私が強く感じたことがあります。
それは、地域の方々をまとめる人の存在です。
私が見た限りでは、体育館で避難生活をしている方々の意見をまとめ、行政との間に立つ「地域のまとめ役」の姿が、なかなか見えてきませんでした。
炊き出しをされていた中華料理店などの店主さんの姿はありました。
しかし、
「体育館をいつまで避難所として使うのか」
「入学式までにどうするのか」
「避難している方々は、これからどうするのか」
といった具体的な話を行政と詰めていくには、避難者の意見をある程度まとめる人が必要です。
行政だけで決めることはできません。
一方で、行政職員が避難者全員と個別に話し合って結論を出すことも現実的ではありません。
地域の中に、みんなの顔を知り、事情を知り、意見をまとめられる人がいる。
これは災害時に、とても大きな力になると感じました。
「自治会は必要か」
最近、
「自治会は本当に必要なのか」という話をよく耳にします。
地蔵盆。
地域のイベント。
役員。
会議。
確かに大変です。
面倒だと思うこともあるでしょう。
しかし、能登への派遣を経験した私は、自治会は必要だと考えています。
なぜなら、その「面倒なこと」を普段から地域のみんなで一緒にやることに意味があるからです。
地蔵盆の準備をする。
テントを立てる。
机を運ぶ。
お祭りの段取りをする。
地域の掃除をする。
そんなことを一緒にやっているうちに、顔と名前が一致してきます。
「あの人は○○さん」
「あのお宅には高齢の方がおられる」
「あの人は電気関係に詳しい」
「あの人なら軽トラックを出してくれる」
そうやって、地域の中で「誰がどんな人なのか」「誰が何をできるのか」が自然と分かってきます。
私は、それが災害時の**「地域の瞬発力」**につながるのだと思っています。
普段から一緒に何かをしているから、いざというとき、
「ちょっと手伝って」
「分かった」
で動ける。
この力は、名簿やマニュアルだけではつくれないと思います。
高齢者ほど、地域の中に入っておく
これから単身の高齢者世帯は、ますます増えていきます。
私は、高齢になればなるほど自治会など地域の中に入り、自分のことを周囲の人に知っておいてもらうことが大切だと思っています。
「一人暮らしの○○さん、今日は姿を見ていないな」
「あのお宅には足の悪い方がおられる」
「水を運ぶのは難しいだろう」
そうやって気にかけてもらえる関係は、災害が起きてから急につくれるものではありません。
だから元気なうちは、自分のできることを進んで地域のために引き受けるくらいで、ちょうどいいのではないでしょうか。
もちろん、できないことまで無理に頼んでくる自治会では困ります。
それぞれが、できる範囲で地域に関わる。
そんな自治会であればいいと思います。
水がなければ、自宅に帰れない
和倉地区は、断水の解消が特に遅かった地域でした。
そのため、自宅そのものには戻ることができても、生活用水が確保できないことで、なかなか避難所から自宅へ帰れない高齢者がおられました。
この経験から強く感じたのが、
生活用水の確保は、自宅へ帰れるかどうかを左右する
ということです。
飲み水だけではありません。
トイレを流す。
手を洗う。
洗濯をする。
掃除をする。
身体を清潔に保つ。
生活には、想像以上に多くの水が必要です。
これから高齢者が増えていく中で、給水車まで水を汲みに行くことを前提にした防災では、難しくなってくると思います。
太秦にある井戸を、一度調べてみてはどうか
だから私は、地域にある井戸を、平常時のうちに一度きちんと調べておく必要があると思っています。
幸い、太秦にはまだ農地がたくさん残っています。
農業用の井戸が、今も使われているところがあるかもしれません。
料理屋さん。
漬物屋さん。
豆腐屋さん。
こうした水と関わりの深い商売をされているところにも、現在も稼働している井戸が残っているかもしれません。
もちろん、個人のお宅にも昔から使われてきた井戸が残っている可能性があります。
まずは、
「太秦には、今も使える井戸がどこに、いくつあるのか」
地域のみんなで調べてみる。
そこから始めてもいいのではないでしょうか。
もちろん、井戸があるからといって、その水をすぐに飲料水として使えるわけではありません。
しかし、災害時にトイレや清掃などの生活用水として利用できる井戸が地域のどこにあるのか。
所有者の協力を得られるのか。
停電しても水を汲み上げられるのか。
そうしたことを平常時に調べておくだけでも、災害時には大きな違いが出ると思います。
避難所の鍵は誰が持っているのか
もう一つ、平常時に確認しておかなければならないのが、避難所となる学校の鍵です。
京都市では、自主防災会の役員など地域の関係者が学校施設の鍵を保管していると思います。
しかし、大切なのは、
「誰が鍵を持っているのか」
を最低限のメンバーで共有しておくことです。
さらに、鍵を持っている人自身が被災した場合でも、別の人が開けられる体制にしておかなければなりません。
実際、能登では地震発生時に小学校へ避難してきた観光客がおられ、PTAが校長先生に連絡を取り、窓ガラスを割って体育館へ入ったと聞きました。
割れた窓から入ってくる風は寒かったそうです。
寝具は和倉温泉から提供されました。
炊き出しのための食材も集まったそうです。
しかし、物資があるだけでは避難所は動きません。
誰が鍵を開けるのか。
誰が炊き出しをするのか。
誰が避難者をまとめるのか。
誰が行政と話をするのか。
想定外のことが起きたとき、誰が判断して動くのか。
そこには、やはり「人と人とのつながり」が必要です。
防災とは、地域で顔を知っておくこと
防災というと、防災倉庫や非常食、発電機など「物」の備えを考えがちです。
もちろん、それらも必要です。
しかし、能登への派遣を経験して私が感じたのは、それだけでは足りないということでした。
水がある。
食材がある。
体育館がある。
毛布がある。
それでも、それらを動かす「人」と、人をつなぐ「関係」がなければ、十分に機能しません。
普段から地域の行事に参加する。
顔を合わせる。
名前を覚える。
そして、ときには面倒なことも一緒にやる。
その積み重ねが、いざというときの「地域の瞬発力」になる。
だから私は、
「自治会は必要か」と聞かれれば、「必要だ」と答えます。
自治会は、地蔵盆やイベントをするためだけにあるのではありません。
普段から地域の人がお互いを知り、
「いざというときに、一緒に動ける関係をつくっておく場所」
でもあるのだと思います。
そして、その関係がある今のうちに、
「地域のどこに井戸があるのか」
そんなことをみんなで調べておくことも、立派な地域防災ではないでしょうか。