
株式会社なかせ不動産のホームページが完成しました
株式会社なかせ不動産のホームページが完成しました
― 地に足をつけて、地域の皆様とともに歩むために ―
このたび、株式会社なかせ不動産のホームページが完成しました。
太秦のまちと、理容業の家系として
私は、中瀬理容院の長男として、昭和42年京都市右京区太秦に生まれました。
父はすでに他界しましたが、生前は理容師として、真摯にお客様と向き合い、その背中から「丁寧な仕事」と「人との信頼の築き方」を学びま
した。
理容という仕事は、髪を整えるだけではありません。
お客様と向き合いながら、髪だけでなく心までスッキリとして帰っていただく。
その思いを大切にしてきました。
私はその姿を見て育ちました。
理容業で培われた「丁寧さ」や「誠実さ」を不動産という仕事にも受け継いでいきます。
お客様一人ひとりの思いに寄り添い、安心してもらえるような仕事をしていきたい。
それが、私の根っこにある価値観です。
京都市役所での33年間が教えてくれたこと
私は、地元の小・中・高等学校から市内の私立大学を卒業した後、33年間、京都市役所で働かせていただきました。
地域の皆様と向き合う職場に長く在籍し、住民の方々とともに「まちのあり方」を考えてきました。
1 土木事務所
大雨による道路災害の復旧作業に徹夜で対応し、関係機関との連絡調整を担当しました。
2 生活保護の現場
精神疾患や知的障害を抱えた方の生活や医療支援に。
精神の病で寝込んでいるとはいえ、お母さんが家にいるのなら学童保育には入れないという、児童館長の判断によって支援を受けられなかった母子家庭からの相談もありました。
親が自宅にいるから入所は許可できないという、事務的な線引きに疑問を感じ、直接掛け合いました。
お母さんからは、「子どもがいるとゆっくり療養できない。部屋に閉じこもらせるのは、子どもにもよくない」という切実な声がありました。
制度と現実の間にある、見えない壁の厚さを痛感しました。
また、借金を抱えたおばあちゃんの自己破産手続きに寄り添いました。
このおばあちゃんは、退院してもすぐに血圧が上がり再入院を繰り返しておられました。
「自宅に戻ると、どうしてまた血圧が上がってしまうのか」と不審に思い、じっくりと話を聞くと、自宅にかかってくる借金取りからの電話が原因でした。
弁護士につなぐと、借金取りからの電話は止まり、「家に帰るのが怖くなくなった」と笑顔で話してくれました。
じっくりと寄り添うことの大切さを深く学びました。
3 「世界一美しいまち・京都」
ポイ捨てごみの対策にも取り組みました。「世界一美しいまち・京都」を合言葉に、市民や企業と協働した清掃活動を市内の様々な場所・団体と行いました。
そして、教育委員会に働きかけた結果、学校単位で大規模な「530(ごみゼロ)運動」が始まり、地域での清掃活動の機運が一気に盛り上がりました。
それでも、「ごみのポイ捨て」はなかなかなくなくなりません。「ごみを拾う人」が増えても、「ごみを捨てる人」がいなくならないからです。
そこで、最終的には「ごみのポイ捨て」行為に対する罰金制度を盛り込んだ「美化推進条例」を制定しました。それまでは「ごみのポイ捨て」はモラルの問題と言われていました。しかし、条例によって、その行為は罰則に値する行為となりました。
さらに条例制定に合わせ、市民の皆さんに直接呼びかける市バスと地下鉄の車内アナウンスを行いました。
「乗客の皆さん。たばこのポイ捨てや空き缶などのごみのポイ捨てはやめましょう!
また、門掃きや町内清掃に取り組み、まちの美化にご協力ください。一人一人が力を合わせ、世界で一番美しいまち京都を実現しましょう。」
このアナウンスは、当時バスや地下鉄の全車両で何度も流れました。
「小さな言葉の積み重ねが、市民の意識を少しずつ変えていく」
そんな思いでした。
京都のまちは、まちの隅々までポイ捨てごみのないまちへと変わり、市民や事業者による清掃活動が続けられています。
4 左京区での制度改革と地域の希望
左京区役所勤務の際には、政令指定都市として初の「農家民宿の開業に係る規制緩和」を実現しました。
これは、当時の区長の強烈なリーダーシップのもとで、関係局と粘り強く協議を重ねた結果です。
きっかけは、京都市左京区の農家からの相談でした。
「同じ京都府内の田舎でありながら、京都市内の農家は農家民宿を開けない。京都市外の農家は規制緩和の恩恵が受けられて許可が出る。何とかならないか」――
素朴な声が出発点でした。
制度発足後、別の農家の方がこう話してくれました。
「息子が、私が農家民宿を始めるのなら定年後に戻ってもいいと言ってくれた。だから農家民宿をやろうと思う。息子と一緒に屋号を考えた。田舎の家が希望へと変わった。財産になった。」
その言葉を聞いたとき、胸が熱くなりました。
田舎の家は、かつて「街に出た子どもの負担」と言われることも多かった。
しかし、それが「家族の夢と希望の拠点」に変わった瞬間を見届けることができたのです。
今では、左京区は京都市内でも最も農家民宿が盛んな地域となっています。
制度の創設は、地域の誇りや希望へと育っていきました。
さらに翌年、左京区北部山間地域は「おこしやす京のどぶろく特区」の認定を受けました。
これも農家民宿のご主人からの相談をきっかけに、私が産業観光局へ提案したものです。
田舎で実ったお米が酵母の力と丁寧な人の手でお酒になり、街の飲食店で人々に楽しまれる――。
「里と街がつながる」新しい形を、地域の人々とともに実現できました。
地に足をつけて歩むということ
こうした日々の中で、私はいつも感じてきました。
「地域を支え・変えるのは、やっぱり人のつながり」だと。
机上の計画や書類では見えない現実も、現場に足を運び、顔を合わせ、声を聞くことで初めて見えてくる。
その積み重ねが、地域からの信頼を得ることへとつながります。
この33年間の経験と仕事のスタイルは、いまの不動産業にそのまま生き続けています。
土地や建物を扱うことは、そこに暮らす人の人生に関わることです。
だからこそ、誠実に、地に足をつけて取り組んでいきたい。
それが、なかせ不動産の原点です。
最後に
ホームページの完成は、ひとつの節目であり、新しいスタートです。
これからも、太秦や右京区を中心に、
地域で出会った方々と一緒に「まちの未来」を考えながら歩んでいきたいと思います。
なかせ不動産をどうぞよろしくお願いいたします。
